先日書いた記事で「勉強は受動的ではなく自分から進んで行う能動的な勉強ができるかが大切です」なんて書いたので深掘りしたいと思います。
これは、自分の頭で考えるようになって欲しいと願う父の試行錯誤のお話です。
先日、あるバズったtwitterのことで息子と話していたんです。
これを見てどう思う?
「日本人の給与はあがっていないんだね」
「退職金は下がっているね」
「ディズニーランドには行きにくくなっているね」
答えのある問題と答えのない問題を見抜く
いろいろな問題に出くわしたときに答えがあるかないかはすぐにわかることが多いです。
「日本の人口」とか「計算の答え」とか「織田信長の功績はないか?」とか。
答えのあることは調べて終わりです。ググって終わりです。
問題なのは、答えのない問題です。
「ある本を読んでの感想」とか「ある映画をみたときの感想」、「消費税を上げた方がいいかどうか」
答えのある問題、ない問題を分けるのはとても大切なことです。
答えのある問題の前でウンウンとうなって調べない時、答えのない問題なのに答えを見つけようとして躍起になっている時ってありませんか?
ぼくもよくやってしまいますので、息子から何かを聞かれたときには答えのあるものは自分でググらせるか自分で調べさせます。
ある本を読んでの感想なんて正解はないのに、書評をさがしてきて、ある人の意見を自分のことのように語るヒト。
映画の批評をしている有名人のポジションを自分のポジションのように語っちゃうヒトっていますよね。
何か問題があったら答えがあるものなのかどうか確認する力はとっても大事です。
冒頭の問題で息子が答えていたことはグラフから読み取れることなので、自分の考えではないです。
自分の頭で考える
そこで息子には「じゃあ、このままじゃ日本にいてもヤバいよね。どうしたらよいと思う?」ときいたらいろいろと答えてくれました。
「タバコは吸わないようにしよう、でも吸いたくなるのかな?」
「給与が高いところに就職したい」
「日本はヤバそうだ、海外で働いた方がいいのかな?」
もちろん、答えのない質問でしたが、グラフから得た知識をもとに思考できたと思います。まあ、海外に行くこと以外はとくに目新しいことではありませんがね。
塾のコンテンツをこなしていくと知識は増えていきますが、思考ではありません。
冒頭のグラフから読み取れることを覚えると知識としてはよいかもしれませんが、思考ではありません。
知識とは「過去の事実の積み重ね」
思考とは、「未来に通用する論理の到達点」
自分のアタマで考えよう(ちきりん)
能動的勉強は、未来志向でアウトプット型です。自分が興味をもっていることを勉強することです。
知識は先人の方々の思考の結果ですから、とても大切な教えでもあります。しかし、答えがある問題なので調べればすぐに答えがわかります。
ぼくもそうですが、他人の考えをまるで自分が考えたことのように喋っちゃうことがあります。
アタマの中にこびりついた知識をいったん忘れて、自分の頭で考えることができるようになると子どもは親から離れても立派に育っていくのではないかと妄想している父の話でした。