3月は、受験や就職の結果が発表される時期です。
希望に満ちた人たちも挫折した人たちも存在します。
思いもよらない病気やケガ、不可抗力なアクシデントに巻き込まれてしまった人たちもいらっしゃるかもしれません。
そこで、今日は「挫折」という言葉について考えてみたいと思います。
「挫折」という言葉は、完全にポジティブなものでもネガティブなものでもありません。
少しでも「挫折」という言葉の意味を広げていくお手伝いができればと思います。
若さは夢の大きさです。年をくっていても夢が大きいヒトは若者です。
今日は、そんな若者に向けた記事です。
大学受験時代の挫折
みなさんの「挫折」はなんですか?
ぼくが挫折と言われると、まず頭に浮かぶのは「浪人時代」です。
今思えば、単純に勉強量の不足、勉強の仕方についての研究不足だったのだと思いますが、当時は右も左も分からず、混乱し続けていました。自分なりの勉強スタイルを確立できずに、ただただ時間だけがサラサラと過ぎ去っていく中で、勉強があまり進まない日々を過ごしてしまいました。
浪人中には、今ではマレな疾患となった麻疹(はしか)に罹患してしまいました。全身状態が思わしくないため入院することになってしまいました。
「挫折」の反対
あえて「挫折」の反対の意味を持つ言葉を考えると「挫折」の言葉の理解が深まるのではないかと思います。
ぼくのなかでは、「挫折」のイメージは「折れてしまったポッキー」です。
反対の意味をもつ言葉は、「折れない心」や「忍耐」、「しなやかさ」、「柔軟性」といった言葉が思い浮かびます。「束になった縄」のイメージです。
折れないし、1本くらい切れてへっちゃらです。
もし挫折がなかったら
じっくりと考えてみたのですが、「挫折」がなかったらと考えると恐ろしい。
「挫折」がないとしたら、同時に失うものは、「成功」とか「夢の実現」、そして「いまの自分」ではないでしょうか?挫折があってこそ「大きな成功」が得られます。
そう思うと挫折は絶対に必要なことじゃないかとさえ思えてきます。
みなさんも自分に「挫折」がなかったらと考えてみてください。
もし挫折がないヒトがいたとしたら、ひたすら挑戦を続けていけばいいじゃないかと思います。
挫折は成長のチャンス
ここで紹介した「挫折」よりももっと大きな「挫折」に直面しているヒトがいらっしゃると思います。自分には乗り越えるのが難しいのではないかと思うくらい。
命取りになるくらいの「挫折」に比べるとぼくの経験してきた「挫折」なんてかすり傷程度かもしれませんが、「挫折」は自分にとってはなくてはならない出来事でした。
「大きい挫折」も「小さい挫折」も繰り返すことで成長してきました。
ある上司の話
研修医時代に習っていたある上司は学会発表するスライドを作るたびにズタボロに直してきました。自分の書いた文字は一文字も残らないくらい直されます。
論文を書くようにとよく指導を受けました。やっと書き上げた論文は、自分の書いた文字は一文字は残らないくらい直されました。
懇切丁寧な指導という訳でもまったくなく、ひたすら赤字でダメ出しだけ。
いま、考えると本当にありがたい指導を受けました。
夜遅くまで論文を何度も何度も直して心が折れそうになっていたぼくの机に「捲土重来を期せばよい」とメモ書きを残してくれたことがあって今でも鮮明に覚えています。
その後に人生に大きな影響を与えてくれました。今までの挫折がなければ今の自分はないのは間違いありません。
さいごに
ふだん何気なく使っている「挫折」はネガティブな意味だけではなく、ポジティブな意味も見いだすことができます。
挫折をしたときは「自分を俯瞰して見る」チャンスです。挫折は大きければ大きいほどそのあとに得られる成功も格別です。
「挫折」という言葉を聞くと今では心地よささえ感じることがあります。
人間は過去を書き換えることができます。
「挫折」をした経験を「失敗」と考えてずっと引きずって生きていくのか、あるいは、「挫折」を成功までの「途中停車駅」と考えて、ゴールしてからあとで笑い飛ばすか。どっちなんだい?