こころを整える

たったひとつの自分なんていらない

先生から聞いたお子さんの学校での様子とご家庭でのイメージが違うというお悩みはありませんか?

今日は、そのように場面ごとに自分を使い分ける子どもは素晴らしいという話です。

ぼくの次男の話です。ある日、小学校の先生から学校のトラブルの加害者かもしれないと連絡を受けたのです。

トラブルの加害者というのは穏やかではない話ですし、問題があります。このトラブルの真相は本人に問い詰めたり、担任の先生に確認しましたが、よくわからずに終わってしまいました。

ところで、次男は幼少期から無口な方で自己主張があまりない子でした。前に前に出てくるタイプの長男の陰に隠れてひっそりと生きていたと思っていたのですが、意外にも友達グループではリーダーシップを発揮することもあったようで、妻とともに本当に驚きました。

みなさんはそんな体験はありませんか?子どもの意外な一面をみてうろたえてしまうご両親がいるのではないでしょうか?

ぼくは子どもはそういう一面があって良いと思っています。

深い反省

ぼく自身の話です。若いころは偉そうにしたり、高飛車になってしまったところがありました。自分の考えることが正しいと思い込んでおり、他人にもその考え方を強要してしまう。「そういうやり方は間違っている」とか「頑張りが足りないじゃない?」なんて本気で思って、小言を言ってしまった記憶も多々あります。

逆らってくるヒトの言うことは聞かない、無視してしまうといった行動をとったこともあります。

いま、考えると本当に良くなったと思い深く深く反省してます。

なぜ、場面ごとに自分を変えて、演じることができなかったのだろうか?なぜ、もっとヒトを傷つけずにいけたのではないだろうか?ヒトを楽しませる方法があったのではないかと悔やんでも悔やみきれません。

場面ごとに人格を変える

唯一無二の個性を目指すとか、自分探しをする、ぶれない自分が大切だなんておっしゃる方がいらっしゃいますが、極端過ぎるのは良くない。

ぼくは父親として子どもを叱ることもありますし、高校時代の同級生にあったらちょっといじられたりもします。いまは院長としての立場もあるのでスタッフからは少しだけ遠い存在として見られているかもしれません。それぞれ、息子を演じて、ちょっと気弱な同級生を演じて、院長を演じています。

大切なことは、自分がいる状況で求められていることは何かと考えて、その役割を徹底して演じ切ることです。

本能に従って行動し続ければ、若いころの自分のように偉そうにしてしまったり、ヒトを嫌な気分にさせたりしてしまいます。

政治資金問題を起こす政治家は、その政治家としての演技をまっとうできていません。医療従事者の中にも自分の力を過信してしまい偉そうにしてしまうことがあります。感情にまかせて部下を叱ってしまっては上司としては失格でしょう。

諸法無我(しょほうむが)

諸法無我とは仏教の最も大事な教えの一つです。

すべてのもの事(=諸法)は、互いに影響をし合い、何一つとして単体で存在する(=我)ものはない。実体はない。

諸法無我は、この世にある形あるもの(=諸法)はこの世に永遠に存在する唯一絶対的な存在の「我」ではなく、あらゆる”因縁“によって生まれているというものを意味する言葉です。

このあなたや私という存在は、「肉体・意識・魂」と言われるものを持っていて、他の人達とは異なっている一存在ととらえがちですが、それは違うというのがお釈迦様の教え「諸法無我」です。

少し別の例でイメージしていただきますと、この文を読むのに使っているスマホやパソコン等の電子機器はスマホやパソコンという独立した存在ではなく、ディスプレイ、ボタン、本体の外側にある金属、内部のチップなどの部品という様々な存在から成り立っていますね。そしてこれらの部品もすべて原材料があって、それを加工する人達がいて生まれるという「縁起・因縁」があるのです。

人も同じで、「唯一絶対の存在=我」ではなく、私たちの体は何兆もの微生物・細菌という別の生物からも成り立っていて、自分という存在は、親・祖先がいて、たくさんの食べ物を食べて成長し、教育を受けて・色んな人と出会って今の自分の考え方などすべての存在がある、つまり「縁起・因縁」があってここにいるのです。

この世のどんなものも、色んな物事から影響を受けて存在している、つまり因縁があって存在していて、唯一不変で単体として存在するものはないというのが「無我」というのです。

諸法無我の考え方から「どんな存在も、単体で存在しているわけではなく、支え合っている」、だから「自分一人の考えで物事すべては思い通りにならない」とも理解されます。

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

自分の個体はおろか感情もすべてはあるようで、ないようなものです。

人間の体はさまざまな元素や微生物、遺伝子情報から作られています。不思議ですよね。いったい自分の身体って突き詰めるとそういうことになってしまいます。そして、親や祖先、教育、人との出会いや環境が影響して、考え方や容姿が変わり今の自分があります。

要するにヒトは多くの物ごとが影響しあって作られている存在であり、単体としての存在ではありません。

いったい、自分の存在とはなんなんだろうと突き詰めて考えると頭が混乱して、行動ができなくなってきます。

全力で演じ切る

学校や家族、趣味といったコミュニティのなかで自分が求められている振る舞い、自分が求められているキャラクターを全力でやり抜く、それぞれのコミュニティでスイッチを切り替えることのできる人間が「諸法無我」の世界を生き抜くことができます。

わが子は親の知らない環境や対人関係の中でいろいろな役割を演じきっているようですので成長していると確信しています。

ぼくも若かりしころの自分を猛省して演じ切っていきます。

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