こころを整える

一日作(な)さざれば一日食らわず

百丈禅師の言葉「一日作(な)さざれば、一日食らわず」には、自己責任と日常の行動の大切さが込められています。

百丈禅師は九十五歳まで、弟子たちと同じように日常の仕事に精を出し、一日も怠ることなく労働を続けました。そして、「一日作さざれば、一日食らわず」という言葉を残しました。

この言葉は、「働かざる者、食うべからず」という言葉と似ていますが、意味合いはまったく異なります。百丈禅師は、自分自身が自己責任を持ち、日常の修行としての作務(日常の作業や仕事)を大切にしたいという意思を表しています。

ある日、弟子たちは、百丈禅師が休んで欲しいという願いを叶えるため、百丈禅師の道具を隠してしまいました。百丈禅師は、その日から三日間食事を受け取りませんでした。弟子たちは、百丈禅師がなぜ食事をとらないのか尋ねると、「一日作さざれば、一日食らわず」と答えたそうです。

この言葉は、自分が日常の仕事に取り組むことが、自己責任の下であり、日常の修行の一環であるということを示しています。百丈禅師は、一日も怠らずに仕事に精を出すことが、生きるための食事と同じくらい大切であると考えていたようです。

私たちも、百丈禅師の言葉から学ぶことができるのではないでしょうか?

周りから見たらどんなに小さいことのようにみえても、自己責任をもって日常の仕事に真剣に取り組むことが、人生において重要です。たとえば皿洗いであっても、真剣に向き合うことで、新たな発見や気付きが得られます。

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